シェアその10

機能不全家族と関心


よろしくお願いします。

 小さい頃に兄が攻撃的になって入退院を繰り返すようになり、家の中がいよいよ危険になってきました。それに伴い私もうつや解離等の症状で、授業中にずっとボーッとして、集中することが困難になりました。教師も異様さに気付き、父と母の両方が学校に呼ばれました。

 後で父に何を言われるか、怒られるかと思っていましたが、面談の時間が終わると、父は何も言わずに車に乗ってさっさと帰宅しました。家に帰ってもそのことは無かったかのように触れられませんでした。父は無関心でした。私にとっての底付きでした。学業面での底付きではなく、ここまで問題が発生していても父は私や家族に関心を示さない。そんな愛着面での底付きでした。私も兄も必死になって問題を起こして、父の関心を得ようとしていたのでしょう。もしくはこの家の問題を警告したかったか。

 

 私は留学を目指して勉強することにしました。父親がやりたかったことを必死に達成して父親の視界に入ろうとしていたのでしょう。その頃からアル中等の依存症が始まりました。そして私はずっと家の外に父親を探して彷徨っていた気がします。それが学習塾だった時もありますし、学校の教師だったり、友達の親だったこともあります。そして精神科医であったり。父親は確かにあの家にいるのに。そういった人たちに怒られるようにわざと誘導していた時期もあったと思います。私の出会ってきた教師に対する怒りも父の転移が幾分含まれていたと思います。教室という閉鎖空間の中での権威に父を見出していたのかもしれません。

 海外で学んだ心理学、精神医学で私は生き延びている。それは事実です。しかし、海外留学は家からの避難という機能もあったのでしょう。侵入的な機能不全家族も流石に太平洋を越えてはそう来れない。それでも数回ありましたが。

 

 さて、ベタな話はここまでです。シェアその1でトラウマ反応が落ち着いてきたのか、周りが見えるようになってきたと話しました。そこで母について気がつくことがありました。私は普段家で料理を作ることが結構あるのですが、スパゲティ類を作ったときだけ母の箸の進みが明らかに遅いことに気づきました。何十年も親子をやってきて初めて気が付きました。自分の家は機能不全家族だ。親は私を見ていない。そんなことを10年近く話してきた。しかし、ならば聞くが、自分にはちゃんと父が見えていたのだろうか。自分自身は母に関心を示していたのだろうか。家族全員が病気や恐怖、不安、仕事などで頭が一杯で他人が全く見えていない。機能不全家族とはそのようなものなのだと思う。私も例外ではない。

 

 母に関してもう一つ気づいたことがありました。暑い夏の日でも母が長ズボンのジャージを履いていて暑そうにしていました。なので、私は母に量販店で七分丈くらいの涼しそうな部屋着を買ってあげました。母はとても喜んでくれて、部屋着としてプレゼントしたのによそ行きにすると言い始めました。プレゼントでこんなに喜んでもらえたこともそうそうないと思いました。結局、プレゼントというものはいかに普段から相手を見て関心を寄せているかを伝えるための物なのだと、そんなことも今更理解しました。物品自体には大した価値はなく、それを媒介するに過ぎない。

 母親はよっぽど気に入ってくれたらしく、次の日もそれを着て私の部屋まで見せに来ました。母は「このシワがちょっと気になるかも。」と言いました。先程言ったようにあくまで部屋着として作られている商品なのでシワが入って当たり前なのですが、家族とは言え、女性が男の目の前でファッションショーをするときは無条件に褒めてもらいたいものだということは流石の私も理解しています。そのため、このように伝えました。「それでいいんだよ、最近はそういう素材感が流行ってるんだよ」と。すると母は嬉しそうにして夏の日差しの中、意気揚々と出かけていきました。以上です。ありがとうございました。