シェアその9

父との試合


 

よろしくおねがいします。

 

 以前話したようにうちの祖母は高齢で施設にいます。お盆に父が祖母を家に連れてきました。その日の気温はかなり高温で、高齢である祖母の体調が心配になりましたが、お盆で祖母の知り合いも来ますし、精神的利益や宗教的意味合いもありそうなので私は静観しました。結果、案の定家から帰ったその晩に祖母は38度の熱が出ました。ここまではまだわからないでもないのですが、何故か父は次の日も熱を出している祖母を連れてくると言って母と揉めていました。そこで母は私に相談にきたのですが、私も初めてその状況を知ったので真っ先に思いついたのはもし本当に連れてきたら高齢者虐待として通報しようかということでした。しかしそれは一旦置いておいて、私は少し考えました。確かに孫として私も心配だが、祖母の子供たちである父親兄弟でまずは話し合う方が優先度が高いと思いました。そこでおじやおばに連絡してみなさいと母に伝えました。

 私の判断は適切だったらしく、すぐにおばが来て施設に様子を見に行きました。おばが施設に付くとすでに施設の判断で病院への入院措置が取られており、祖母はいませんでした。当たり前の判断だと思います。そこで今度はおばと母、そして私の三人で病院に祖母の様子を見に行きました。熱が下がるまでに数週間かかりました。一方、おばと私と母の三人が奔走していた時に父は何をしていたかというと家で一人でテレビを見ながら酒を飲んでいました。

 

 このお盆の騒動からさらに遡ること一週間前、とある精神科医とお話する機会があったので私はこのように伺いました。「父親というものは家の中で邪魔者でなくてはならないのでしょうね。そしてその邪魔者を倒してしまったり、いないことにしてはいけないのでしょう。もしその家の邪魔者を倒したり回避してしまった場合、次に対峙する相手は社会、つまり警察だから。」と伝えました。すると先生は一度頷き、このようにおっしゃいました。「父親と息子はcompetition(コンペティション)、つまり競争相手でないといけない。 collision(コリゾン)、衝突してもいけないし、withdraw(ウィズドロウ)、回避してもいけない。」と。そこで私が真っ先にイメージしたのはスポーツの試合でした。例えばテニスでもどんなに興奮してもネットを越えて相手を殴りにいかないし、途中でラケットを捨てて試合放棄もしない。どちらもルール違反としてこちらの非になってしまう。ルールに則ってラリーを続けなくてはならない。

 もちろん機能不全家族だと相手がルールを破って罵倒したりしてくる。でもそれは相手がルール違反で恥をかいたり処罰を受けるだけだ。自助グループ的に言うと、ハイヤーパワーは見ているということ。今回、父の理解しがたい行動は試合会場に集まった親戚達を困惑させ、父に対する信頼も幾分損なわれたのではないかと思います。それに対して私は巻き込まれるでもなく、ゲームを放棄することもなく、的確なショットを返せたのだと思います。

 

 小さい頃はこの父の高慢さとアンビバレントさを寡黙な男らしさとして理想化して取り込んでいたのでしょう。今はそれを落ち着いて見定めることが出来る。長い期間を経て実家に帰っての共同生活ですが、今、私はあの家で親子関係と私自身をやり直しているのかもしれない。以上です。ありがとうございました。