シェアその7

生きるための人間関係


よろしくおねがいします。
 
(注:このシェアは現在のものではなく、過去にしたものです。)
 家族といる時間をある程度制限しています。人間、というよりも生物は閉鎖された空間に複数を長時間置いておくと戦いが始まって当たり前。それは意識やモラルや病気の話でもなく単細胞生物の時代から続く生命の本能。およそ40億年の生命の歴史に対してここ数十年の社会規範や良心、技術で対抗しようとしても無理がある。単に一緒にいないプライベートな時間を作る。
 
 最近家族等の人間関係が良くも悪くも私の頭を占有するようになりました。その結果希死念慮が見えにくくなりました。結局、人間は根本的に空虚な存在であり、すべての人が意識的に、もしくは潜在的に希死念慮を抱いていることが自然なのかもしれません。人間は暇だとその空虚と希死念慮に気づいてしまうのでしょう。健康な人は仕事やら家庭やら人間関係で忙しいので希死念慮を忘れて生きている。健康とはその程度のものなのかもしれません。
 
 さらに突き詰めて言うと人間の脳は外部からの刺激があって初めて覚醒し「自分はここに存在する」と自覚出来るものなのでしょう。事実として人間のあらゆる感覚器官を器具などで全て遮断して閉じ込めておくと10日ほどで統合失調症になる。そんな研究がある。光、音、そして触感等様々な刺激が外部には存在するが、人間の脳を突き動かす最も強い刺激となるのが人間関係なのでしょう。とある哲学者は「我思う、故に我在り」と言ったそうですが、私はこう思います。「我関わる、故に我在り。」なのだと。以上です。ありがとうございました。