シェアその12

ゴミに架ける橋


よろしくお願いします。

 大分前のことですが当時はうつ状態が酷く、無気力で部屋の掃除もままなりませんでした。それでも特に困ることはないので、自責することなく好き放題に散らかしっぱなしにしていました。床が見えないのは当たり前。そこからが強迫性障害を持つ者の勝負です。二層三層と重ねていって膝上の高さのベッドよりも高くなりました。そんなゴミをザブザブと掻き分けながら快適に生活していたのですが、唯一困ることがありました。寝室のエアコンが壊れて修理の人間を呼ぶ必要ができました。修理工を玄関から寝室まで、部屋の中を横断させる必要がありました。一般にはゴミが恥ずかしいからどうやって片付けようか、せめて獣道でも作ろうかという所で悩むのでしょう。しかし、脅迫の私が考えたのはこのゴミ屋敷に対する依存を維持しながらどうやって修理を完遂しようかということでした。結果、ゴミの上に木材などで橋を渡しました。足りない部分は板切れを拾ってきて補ったので余計にゴミが増えてしまいました。

 

 予め電気屋さんには「散らかってて申し訳ないが、橋を渡しておく」と伝えておいたのですが、さぞ混乱させたと思います。来てくれた電気屋さんはとても優しい人で部屋を一目見てすべてを察したのでしょう。笑ってはいけないエアコン修理よろしく、ノーリアクションで黙々と橋の上を渡り、エアコンにたどり着き、淡々と作業をして帰りました。恐らく関わってはいけないと直感的に理解したのかもしれません。

 しかしそれは私にとっての絶望でした。私は恐らく電気屋さんに父親を投影していたのでしょう。注意してもらいたかったかもしれないし、怒ってもらいたかった。もしくは心配してもらいたかったか、優しい言葉をかけてもらいたかったか。

 

 結局、うつだから掃除が出来なかったのではなく、ゴミを溜め込み、床を見せないことにたいして脅迫、行動依存があったのでしょう。一般にゴミを貯め込むことはやってはいけないことだからこそ「やめなければいけない」とそれだけで頭がいっぱいになる。そんな些細な問題で頭をいっぱいにしておけば本質的な問題と向き合わなくて済む。

 

 それでは私の本質的な問題とは何だったのか。これまでも話してきましたが、今日は別の角度から話したいと思います。とある精神科医は「長女病、次男病」という言葉をよく使います。機能不全家族では概して兄弟の上の人間が「出来の悪い子」としての役割を取り、下の子が従順で可愛がられる「できる子、かわいい子」として立ち回ることが多いらしいのです。しかし、意外にも下の子の方が明らかに生存率が低く、三十代半ばで自殺してしまうことが比較的多い。結局家の中で特定の立ち振舞いをするとちやほやされるというだけで、社会の中では不適応な場合が多いのです。例えるなら現在は全然仕事のない「元天才子役」のような状態になってしまい、どう生きて良いかわからなくなり、自害する。

 これは私にも非常に当てはまることで、何故か私は小さい頃から家の問題は私がなんとかできると勝手に思い込み、四苦八苦してきた節があります。家の仕事が大変で兄も病気になっていったのですが、幼稚園の頃は兄から一回も要求されたこともないのに自分のお小遣いを兄に渡していました。それで兄が良くなると思っていたのかもしれません。またある日は家族が家の仕事のことで深刻な話をしていることを私は低いトーンの声色でなんとなく察しました。そこで私がチョロチョロと出ていって台所にある包丁で自分の手を切りました。そのことで家族の注意を逸らそうとしたのでしょう。しかし後でこっぴどく叱られたのでそれは一回きりでした。これは幼稚園に入る前のことです。その後はこれまで話したように自分が優等生になることで家族の注意をひきつけ、家族内の緊張を緩和させようと努力してきた気がします。しかしそれはあくまで家庭内という閉鎖空間の中での話、あまり学問に関わりのない家ではとりあえず大学を出ればチヤホヤされます。家族が深刻な顔をしているときでも私が出ていって英単語をひけらかせば家庭内の緊張は収まり、とりあえずその危機は切り抜けられるのです。しかし実社会でそれをやっても唐突に不必要な英単語が出てくるお笑い芸人のような痛い人間で終わってしまいます。家の中でそういった「マスコット」の役割を取れば取るほど、社会適応力は低くなり、自立できません。逆に私が自立してしまうと家の中で緊張を緩和させるための歯車がなくなり、家の中が危機になる。少なくともそういった思い込み、強迫観念が私の中にあったのでしょう。家の中でずっと歯車をやっていたなぁと思います。

 

 結局家族とはいえ、他人の問題はその人がまず自分でなんとかするしかないのに。私は私の人生を生きて良いのに。

以上です。ありがとうございました。