シェアその17

依存症者は言葉ではなく行動で伝える


 

よろしくお願いします。

 

 

 以前のシェアで、学生時代に成績不良などの問題を起こすことで何かを父に伝えたかったと話しましたが、今回はそこをもう少し掘り下げてお話したいと思います。ちなみにその話を読んでいなくとも、今回の話は理解することはできます。

 

 高校になると兄の衝動性が高まり、私にも被害が及び抑うつ的になりました。結果、勉強どころではないので成績が急下降し、教師との面談が日課になりました。

 私は家の問題を誰にも話せませんでした。スクールカウンセラーが常駐していることは稀な時代。家族病理などの知識を持たない教師に話したところで余計こじれるだけでしたのでそれも仕方のない判断だったと思います。

 というよりも私自身が話したくなかったのだと思います。これまで話してきたように人間は言語化することで自分を理解する生き物です。他者を鏡のように使って。裏を返せば他人に話さなければ、どんな問題もなかったことにできます。そうすれば正常性バイアスよろしく、その日その日をなんとか誤魔化して生き延びることができます。これが否認という心理的防衛です。

 

 今振り返ってみると私だけでなく、家族全員そういった防衛スタイルだったと思います。特に父はそれが顕著で、祖母が認知症になったときも「寝かせとけば治るだろ」と言うだけにとどまったり、同じく祖母が入院して緊急の電話が病院からかかってきたときも、取り次いだ母に対して「出ねぇよ馬鹿野郎!!」と怒鳴りつける有様。とにかく、知ることを避け、なかったことにしようとする家系なのでしょう。

 

 

 よって私は学校生活でも外部に家族のことを知られないように、核心に迫られないように常に秘密を隠しながら会話をしていたような気がします。さながら、密集した地雷原のなかで飛び石の上を飛び移るような会話の仕方。相手から侵入されないように早口でまくし立てることもあれば、その無理が祟って吃ることもある。他者からすると、本音を言わない、話がかみ合わない人と思われたことでしょう。これでは信頼されませんし、当然親密な関係が出来ません。スポーツなどで必死に成功者を演じているようでも、ふと気が付くとポツンと一人。誰にも相談できない、相談されない人間になっていました。私は孤独でした。

 

 しかし私はそれでも無意識のうちに家の問題を父にSOSとして伝えようとしたのでしょう。それが成績の急降下だったのだと思います。学校で問題を起こせば三者面談などの話し合いの場に父を引っ張り出すことができる。そこで「ご家庭内の様子はどうですか」という流れになることを期待していたのかもしれません。もちろんそれでは親に伝わりません。そんな話になるわけでもなく、父は無関心のまま一言も発せず家に帰ったことは以前お伝えした通りです。

 それから父の関心を得るために留学など父が成せなかったことをしました。父の興味を引くためにねじ曲がった方向に必死になっていたと思います。そんな行動では伝わらないのに。

 

 

 

 しかしそれから数年経ち、私は自分の治療をしてあの家に治療を紹介することができました。そして最近あるタイミングで父にこのように伝えるきっかけがありました。

 

 「ずっと家を離れて心配と誤解をさせていたと思うけど、私が生き延びるために、自分の治療をするためには家を離れる必要があった。そして治療に関して外部で学んでくる必要もあった。そして私が私の治療をすることで、この家に治療を紹介して持ってくることができた。私がこの家を離れていたこともこの家のためでもあるんだよ。」と。

 

 依存を発症しながらいろいろがむしゃらにやってきましたが、私が父に対してしたかったことは、たったこれだけの説明だったのでしょう。しかし私が治療を通して、私自身に起こっていることを言語化し、認め、理解するのには時間がかかりました。他のACや複雑性PTSD患者と同じように。

 

 ちなみにタイミングというのは兄が母に対する暴力で警察に捕まった時です。それは家族としての底付きでもあったので家族が打ちひしがれるなか、これぞタイミングと思い、病院を紹介しました。「病院というのはおかしいから行くわけではないんだよ。病気を治しに行く場所ではなくて、人間関係や家族関係を直す病院もある。家族に問題があってそれを解決したいと願う健康な人が行く場所。だから家庭内に問題があるときは家族の中でも健康な人から病院に繋がる。後に来る人ほど症状が重く、来ない人が真の病人。」と説明すると父が通院するようになりました。

 もちろんこれからどれだけ治療をするかは父次第ですし、どこまで回復するかは本人以外誰にも知ることも出来なければ統制を取ることも出来ません。

 

 恐らく普段から頭ごなしに行け行けと「指示」を出していたら父は余計に警戒して治療に繋がらなかったことでしょう。上記の説明中、実は一度も「行ってほしい」と指示もお願いもしていません。とある精神科医は「(猫の前に)鞠を転がす」という表現をしています。飛びつくか飛びつかないかはこちらで決めることではありません。

 つまりコミュニケーションは内容よりもタイミングが全て。そして依存症者は言葉ではなく、誤った行動で伝えようとする。それが依存症者の根本的な勘違い。そのため依存症治療は依存症自体に焦点は当てず、その人の人間関係と言語能力に焦点を当てる。

 

 

 さらに、タイミングが全てということは大事な話ほど計画できないし、台本を作れないという意味です。依存症者は全て計画して何とか自分の思い通りに話をすれば、相手の行動や環境をコントロールできると勘違いしていることが多い。しかし現実には大事な話ほど、そのタイミングすら自分で選べないことがほとんどです。これが自助グループで言うところのハイヤーパワーなのでしょう。自分の力なんて微々たるものでコントロールできる範囲はあまりにも狭いので、もっと周りを見ろ、ということなのでしょう。

 

 言い換えると、普遍性は不安定さの中に宿るということでもあります。

 実は健全な人間関係ほど不安定で、明日には喧嘩するかもしれないというのが自然なのでしょう。逆に、ささくれ立った関係がふとしたことをきっかけに改善されることもある。自尊心の低い依存症者はその不正確さが怖くて受け入れられないので、関係性をコントロールして恒常的なものにしようとします。結果、相手を支配しお互い息苦しくなり、関係性は危険なものになっていきます。もちろんそんな関係は長く続きません。もし続いたとしたら相手を支配しきってしまった時、一番危険な状態です。

 川の水はある程度流れているからこそ綺麗なのであり、それを長期間せき止めると水は淀み、ヘドロが浮き、水質が悪化して生き物が寄り付かなくなります。

 

 

 話を戻しますが、上記のように私が説明してから父との関係性は変わっていきました。先日は私が食事をしていると父が私に対して「今日は免許の更新に行ってきた」と話してきました。一般の人からすると何の変哲もない一言ですが、私の家ではこれまでは大事な用事があっても父から罵倒か無視されていたので極めて珍しいことです。

 そんな不必要で平凡な会話が父から私に当たり前のように出てきたことが何よりの驚きでした。

 

 私も普通に会話しましたが、私の当惑の奥に微かに感じたものは世間一般で言うところの家族の温もりだったのでしょうか。

 

以上です。ありがとうございました。