シェアその13

句点


よろしくお願いします。

 今日は具体的に私がどのように酒を飲んでいたのか話したいと思います。私にとって酒を飲むことは脅迫という意味合いが強かった気がします。

 

 酒を飲むときは何故かいつも同じボトルを使っていました。依存の初期段階ではワインを飲むことが多かったのですが、それは「ワインは体に良い」という言い訳があったからです。あくまでそれは適量に限りますし、何よりアル中にとって適量という言葉は存在しないということは説明するまでもありません。そしてワインであれば血を吐いてもわからないのでアルコールで弱っていく体を見て見ぬふり、つまり否認をするのに丁度よかったということもあります。安いワインで口の蓋を閉められるキャップ式になっていたのですが、何故かそのボトルに他の酒を継ぎ足し継ぎ足し入れて使っていました。8年ほど使っていたのでラベル部分が指の形にすり減っていきました。何故かそこしか持ってはいけないというルールもありました。瓶から直接ラッパ飲みをしていたので、口をつける部分がどれほど汚かったかは、もはや説明したくありません。そんなことは一切気にならないくらいに感覚が鈍麻していました。

 そして極めつけは飲酒を終わりにする時です。ボトル容器等から直接飲み物を飲むときはどうしても空気がある程度入るものですが、それは私の「飲酒ルール」では絶対にNGでした。空気が入らずに連続7回飲めなければ飲酒を終われないルールがありました。理由はともかく、当時の私にとって7は安全な良い数字だったのです。それ以外は悪い数字でした。特に3と4と5と6と9はまずかった。そんなことは物理的に不可能な条件なので延々と飲酒が続きました。無理難題を自分に課して酒で死のうとしていたのでしょう。

 さらに私の場合は飲酒と過食がセットになっていました。謎の飲酒ルールで疲弊した後にさらに過食で内蔵を痛めつけていました。もちろん過食にも不条理で非現実的なルールが多くありました。これでは依存というよりは脅迫、自分を痛めつける儀式でしかありません。全部ひっくるめてこの儀式に8時間以上かかることもざらでしてた。それを一日に数セット繰り返すことも度々あり、意識のあるときは常にそのボトルを手にしていました。飲みっぱなしで朝を迎えて出かけることもしばしば。酒臭いのでよく仲間に心配されました。

 

 相互抑制(reciprocal inhibition)という言葉があります。こういった謎のルールを厳守することに汲々として脅迫的になっていれば他のことは目に入らないので、自分の本質的な問題を否認することに都合がよかったのでしょう。

 

 またとある精神科医は依存、特に摂食障害のことをpunctuation(パンクチュエーション)、一日の終りに句読点を打つ行為と表現しています。

 一日が終わったことを確認する儀式、とりわけ依存性者は不安が強いので一日が終わったときにもう大丈夫という確認が欲しかったのでしょう。

 特に不安の強い私は句点どころか「それでも自分は大丈夫。」という一文を一日という物語の結末に付け加えたかったのでしょう。シェアその11で話したように「それでも自分には問題ない。」「自分のせいではない。」「自分は負けていない。」とその儀式を通じて自分に証明したかったのでしょう。そしてそれは無理があるので、延々と自分を傷つけるための形骸化した儀式だけが続いていました。裏を返せば、問題だらけで私は底をついていました。結局底をついても本人がそれを認めない限り回復しないのでしょう。そうしなければならないというよりは、正直にそれを話して良いのに。以上です。ありがとうございました。