シェアその5

私の財産


 

よろしくお願いします。

 食事の時間に私が家にいると、母が呼びに来てくれます。それは大変ありがたいのですが、何故か最近ずっと不自然に父が丁度食べ終わって退席した後に呼びに来るのです。10日近く続いています。私とアル中の父が顔を合わせると何かマズイと先取り不安を感じているのかもしれない。何回か続いたときに母にこのように伝えました。「私はお父さんの飲酒を避けることはあるが、お父さん自体を避けている訳ではない。」と伝えました。それでも母の作為が依然として続いたので7日目ほどで切り込みました。「前も言ったけど私はお父さん自体を避けている訳ではない。あなたが意図的にしているのであれば、私がお父さん自身を常に拒絶しているというメッセージを誤って伝えてしまっていることになる。私とお父さんの関係をあなたが壊していることになる。もしそうだと危険だから確認したい。」と伝えました。母はすぐに否定しました。否認することもわかっていたことです。しかしその後に母は「悪かったよお母さんが馬鹿だった。」と言ってきました。もし本当に違うのなら何に対して謝っているのでしょうか。不自然だ。しかし私は戦略上知らんぷりを続けました。「本当にしていないならもう何も言うことはない。」「別にあなたを責めていない、確認したかっただけだ。」と伝えました。

 

 数年前から私は他人を理解させることを諦めています。単純に無理だから。本人が勝手に理解するなら本人の判断と能力だが、理解させようと努力すると私のような共依存症者は大抵支配が始まってしまう。まして特定の言葉を引き出すことも出来ない。「理解させるよりも、自分が他者の理解を。」私にできることはメッセージ活動という謎の行動だけ。だから今回のようなここぞという時は、相手にいかに伏線を残しておくか、混乱を残しておくかしか最近は考えていない。それをどう解釈するかは相手次第。いつものようにハイヤーパワーにおまかせ。

 

 数時間後何故か今度は私の部屋に来て母は続けました。「どうしたらいいのだろう。お父さん機嫌悪いときもあるし、あなたをいつ呼んだら。」と言ってきました。意味がわかりません。本当に作為がなかったのであれば「この子は一体何をいってるの。」で終わるはずです。この時点で99%黒でしょう。今回はたまたまハイヤーパワーが私の戦略を採用してくれたようだ。一体母が何を考える必要があるのかわからないので聞き返しました。すると「おとうさんが~」とまだ続けてきたので、「私とお父さんの関係なんだから、それは私が考えることだ。」と伝えました。父が危険なことをして、私がどうするかは私が決めること。父と関わって生じる不快感や嫌悪感も全て私のもの。だからこう伝えました「お父さんと関わって、悩んだり苦しんだり考えたりすることは私の権利であり、私の財産なんだ。私の権利を奪わないでほしい。私の感情を奪わないでほしい。」と。すると母は「はぇー」と感心したような言葉を発していました。こんな母を見ることは初めてだ。面白い。

 

 さらに母は「お父さんが不機嫌でご飯が必要かどうか教えてくれないときもあるの」と続けてきましたが、それは夫婦の会話の問題なので私を巻き込まないでほしいと伝えました。その問題も悩みも母の財産。今は母も治療に繋がっているので何かあったら治療者に相談できる。家族には家族を悪くすることしかできない。私が感じるべきことを母が感じて、母が感じるべきことを私が感じていた。母がやるべきことを私がやって、その逆もあった。そんなことがこの家ではずっと続いていたのでしょう。この主語を父や兄に置き換えても良いし、述部を責任や権利などの言葉に置き換えても良い。母はこのように人間関係の間に入ってきてムチャクチャにしてしまうことがある。

 

  そんなこんなで最近母のヒステリーの謎が少しずつ解けてきました。結局父と母方の祖母が怖くて頭がいっぱいなのでしょう。トラウマ反応が出ている。そして依存性者にとって問題そのものよりも問題を認めることの方がもっと怖い。普段の生活や回復に向かっている私との関わりでそれにちょっとでも気づいてしまうと、防衛ダムの隙間から恐怖が漏れてきてしまう。それを正当化するために自分自身に対して言い訳をしているだけなのでしょう。ただ面倒なのはそれを他人を使ってやることがあることだ。「私ではなく、あなたがお父さんの文句を言っている」と、自分の不安を他人に投影したり他人との口論に置き換えてくることがある。他人を言いくるめないと自分が恐れているという事実を認めることになってしまう。その可能性が微量に出てくるだけで怖いから、私にとめどなく防衛的に話をしてくる。これが母のヒステリーの正体なのだと思う。

 

 一例を挙げると入院している祖母にお見舞いに行くことにも大騒ぎです。入院しているものの母方の祖母はとても元気で職員と一緒に他の患者さんの世話をしているくらいです。しかしちょっとでもお見舞いの期間が空いたり、遅れたりするとこっぴどく罵倒されるようで、通常であれば行き帰り3時間もあればゆっくりしても十分すぎるほどのお見舞いを7時間の予定を立てていました。

 私も最近それについて初めて知り、明らかに母の負担になっているようだったので、どういったことでそれだけ時間がかかっているのか確認だけにちょっと話を始めたのですが、烈火のごとく怒り出して止まらなくなりました。私も確認したかっただけなので、一言「はいわかりました。」と言っても延々と続けるので。「私はわかったと言っているのだから、これ以上続けるなら部屋に帰るよ。」と言うと止まりました。

 今では私に非があって責めているわけでないと理解出来たので、基本的にこちらはかわすしかない。ただその会話がどのような結末になろうと、母の根本的な恐怖と不安は消えないので、延々に続く。やればやるほど本人は満たされずただ虚しいだけ。私は依存のことを砂の果実とナルシスティックに比喩することがありますが、未だに他の例えが見当たらない。それほどに傍から見てるだけでも哀れで虚しい。

 

 母の生き方を最大限に好意的に解釈すると“Life is Beautiful”なのでしょう。「お父さんはお酒さえ飲んでいなければ優しいのよ。お酒を飲んでいないときでも怒鳴ったりするけど、忙しかったり機嫌が悪いだけなのよ。」という防衛スタイルなのでしょう。それに対して私は肯定も否定もする権利もなければ義務もない。自分の目と耳を塞いで打擲されながら生きたいのなら止めはしないが、私は回復することに忙しいのだ。それに付き合って一緒に震えている暇はない。何度も繰り返すがもう母は自分の回復の場を持っているのだ。

 

 ただ、母の問題に対してある程度統制が取れるようになったからこその怖さもあります。人の上に立って初めて頭を下げることの意味を知るとは言いますが、今こそ私のアサーティブネスや謙虚さが試されていると思います。以上です。ありがとうございました。