シェアその2

依存とインナーチャイルド


よろしくお願いします。

 私はアル中であり、摂食障害です。また数々の行動依存や確認癖などありますが

そんなものは些細な上辺の問題であると理解しました。根底にあるものは自分の生き方の問題でした。

 どのような生き方かというと私はナルシストです。強がりで、見栄っ張りで、自分を必要以上に大きく見せようとしてそれも失敗して、実際の自分とのギャップを埋めるために様々な依存を利用していました。

 根本的に依存はやめようとしてやめられるものではないので、止めることもやめて、どうしてそのような無理のある生き方が必要だったのかだけを下ろしてきました。

 

 ご多分に漏れず私の家も機能不全家族でした。兄が暴れていて常に危険が醸されている家でした。刃物を持ち出すこともありました。わずかな資産があるばかりに、それを守るために陰に陽に多大な犠牲を払ってきた家でした。父は紛れもなく仕事の天才でした。長男である兄に対して特に厳しく小さい頃から子供には無理な仕事をさせ、私は常に怒られている兄を見ながら生活をしていました。

 

 そんな中、私が培った人生観は「無能は生きる価値がない」という生き方でした。支配の中で兄がまず病気になるのに多くの時間はかかりませんでした。喘息やアレルギーなどを発症して仕事ができなくなりました。次に兄は学校でいじめられるなどの問題がありました。裏を返せば、そのやり方で兄は子供には無茶な仕事や父の叱責から自分を守り、両親から保護と関心を得ることに生まれて初めて成功したのでしょう。

 余談ですが、恐らく家族内の元気の量というか、正と負のエネルギーの絶対量は決まっているものなのかもしれません。それを父が仕事をバリバリ遂行するために一人だけ独占してビンビンになっていた。父の苦しみや悲しみといった負の感情を兄が代弁して叫んでいたのでしょう。

 

 結果、鬱屈した兄の家族への八つ当たりも頻繁にありました。私に対する攻撃がひどく続き、私は不自然な成績の急低下が見られました。何日も徹夜しても、単純な暗器科目ですら0点や赤点を取ることが続きました。また不自然に一点を見つめてぼーっとしていることが増え、周囲からも心配されました。解離症状の一種だったのでしょう。

 加えて、ただでさえ子供に無関心な両親は兄の病気に夢中になりだしたので、私は親からの関心を得ることに苦労しました。小さい子供にとって親からの興味関心がどれほど死活問題であるかは説明する必要はないかと思います。家族病理は野球のポジションのようなもので私が兄と同じように暴れる大打者ポジションを取っても意味がありません。そこで私が取ったやり方は前述の価値観も手伝って兄の対極の「出来る子」になることでした。小学校から様々な役員をやり優等生を演じ、いじめられている兄を尻目に友達「役」をたくさん作り、父の果たせなかった大学、大学院に進みました。どれだけ抑うつ状態だろうと酒を引っ掛けて学校に行き、必死で勉強しました。私はこのやり方でこの家にはこんなに良い子がいるのだから問題ないと家族と自分に言い聞かせていたのかもしれません。

 

 しかし私が何かを成すほど兄の劣等感は強くなり、体調が悪くなっていきました。兄とよく夕方に近所をランニングしていたのですが、私が小学校低学年の時に兄を追い抜いてしまいました。以降兄は私と走ってくれなくなりました。勉強でも友人関係でも同じことが起こりました。治療者からは「カインとアベル」と比喩されたこともあります。家の期待に答えなければならない、無能に生きる価値はないという重圧があると同時に、何か結果を出せば出すほど大事な兄が弱っていく。今となっては不条理な思考ですが、当時は上からも下からも押さえつけられるような状況で無意識に自分を責める生活が続いていました。

 

 そして恐らく私は無意識の内に生きていてはいけないと結論付けるになったのでしょう。こういった生きにくさの中で私が慌てて掴み取ったものは酒瓶でした。私は無意識の内にアルコールという薬物を使って死のうとしていたのでしょう。説明するまでもなく、依存は根本的に全て自分を傷つけるための行為だからです。同時に依存が私を死から守るサバイバルスキルでもありました。人間の脳は不便に出来ていて一つのことにしか集中できません。瀕死の状態でも特定の薬物を投与すると笑い出すこともあるそうです。死の恐怖すら打ち消せるのですから、人間の自責感情なんて酒瓶一つで十分なのでしょう。そのやり方で自分の思考と感情を止め、自責を止めていました。そして私はこの依存で自分を治療につなげる事ができました。

 

 おかげさまで酒と過食をすることを10年以上忘れています。やめようとしている訳ではないので忘れているといつも言っています。おそらくやめることは出来ないのでしょう。悟りを開いたと豪語するお坊さんはいません。しかしお経を詠み上げたり、写経をしている間は雑念や囚われを脇においておけるように、私も様々な人にこうやって自分の話をしている限り依存を忘れられているというだけの話です。

 

 結局、依存とはずっと抑圧していた私自身のインナーチャイルド、私の子供の部分だったのでしょう。その子が頑張って「その狂った生き方は苦しいよ」と依存を通じてメッセージを伝えてくれていました。そういった声も聞かずに、依存を無くそうと努力する、否定するなんてとんでもない話だと今は思います。

 その子を殺す、自分の一部を殺すことと一緒です。人格のリストカットです。だから私は止めることもやめ、その子が何を言っているのか、つまりなぜ依存を必要としていたのかだけを淡々と下ろしていきました。なぜこれまで依存を必要としていたのかが理解出来ると、何故これから必要でないのかも理解できます。

 人は途方もない労力と時間を要する依存が、必要もない単なる重荷だったと理解するとさっさとその積み荷を下ろします。人間は快楽主義者なので水が上から下に流れるように、自然に楽な方向に行くだけの話です。その時、依存という仮面を被っていたインナーチャイルド君もまた、叫ぶ必要はどこにもなくなるのでそっと小さくなって横で座っていてくれます。

 

 だから私は自分を守ってくれた依存に心から感謝をしています。以上です。ありがとうございました。