シェアその19

私の傍観者


よろしくお願いします。

 

 

私の主治医は無責任です。

 

次にお会いした時には前回と言っていることが真逆になることもしばしばあります。

 

○○したら?と指示を出してきたかと思えば、クライエントがその指示に従って行動すると、次の診察では「あなたの〇〇には興味ないから」と平気で梯子を外してきます。

 

 

 

 私の主治医がやっていることは端的に言うと、岡目八目といって端から私達の状況を見たときに、「あなたの横にもっと簡単な道が空いているのに、なんで一人でがむしゃらにそんな所で空回りしているの。」と当たり前の客観的事実を指摘しているだけです。実況中継のようにサッカーの試合を俯瞰で見ている感覚に近いのでしょう。

 

とは言っても、究極的に言うと一人の人間が他者の人生に対して一生責任を取ることはできません。

それは治療関係でも同じことです。

 

 一回二回はそれでうまくいったとしても、連続する人生の問題の中で必ず責任が取れなくなり、関係が破綻する日が来ます。「あなたのせいで私の人生滅茶苦茶だ」と責める日が来るかもしません。クライエントの方で「主治医が私の人生選択を指示してきた。この医師が自分の人生選択の責任を取ってくれる」と誤解をしているのであれば、出来る限り早い段階でその誤解を解いた方が良いに決まっています。すると上記のような応答に自然と落ち着くのでしょう。

 

 

治療関係も人間関係。続く関係は良い関係です。続かない関係は悪い関係です。

 

 

 

 つまり私の主治医は人生における私の自由意思を最大限に尊重しているのでしょう。我々の取るべき責任が我々の権利と直結していることはこれまでのシェアの中でも話してきました。

 

 

 とある治療者は精神医療の在り方を”just listening” (聴いているだけ)と説明したそうですが、それに対して私の主治医は”just watching”と表現し、徹底して私の傍観者を演じてくれています。以上です。ありがとうございました。